【ある"おばあさん"の孤独死】~高齢化社会について考える~

現在高齢化が急速に進む日本において、高齢者の方が
賃貸住宅を借りる場合、いろいろな問題が発生しています。
「保証人がいない」
「家賃が払えない」
「身元引き受け人がいない」
などです。
わたしが経験した「ある おばあさんの孤独死」についてお話します。
■2003年冬
ドアを開けると部屋の中はゴミの山。凄い悪臭がした。
しばらくたって廃棄業者がわたしを呼びに走ってきた。
わたしが部屋に入って、立ち止まると、業者がわたしの足元を指さした。
わたしは思わず『これ、脚?』とつぶやいた。
業者はうなずいたが、遺体の痛みが激しくてなんだかよく分からなかった。
2003年2月。3ヶ月間発見されず、孤独死した
あるおばあさん吉田さん(仮名)75歳の話。
吉田さんはわたしが建物を管理している、
家賃3万5千円の部屋に住んでいた。
吉田さんはあまり人付き合いが得意な女性ではなかった。
『親戚とはみんな縁を切ってやった!』
『旦那はろくでなしだから、追い払った!』等々。
また、頑固で話が非常に長いので、他の従業員は敬遠気味。
吉田さんの口癖は、
『あんた(長倉)はわたしの息子』
月一回家賃を持ってきて話をするのを楽しみにしていた。
立場上、わたしが話し相手をしたり、食事をしたりしていた。
しかし、2002年の夏ごろから身体の具合が悪くなり、
決められ日に家賃を持参できなくなりだした。
わたしが吉田さん宅を訪れると、訪れるたびに
部屋の中がゴミの山になっていく。
『一緒に片付けよう』といっても、『自分でやる!』といってきかない。
2002年12月、吉田さん宅を訪ねたら、
ゴミの山の中でうずくまっている。
『痛いよ!』と吉田さん。
『救急車を呼ぶから病院へいこう!』と
わたしがいっても、吉田さんは
『人の世話にはなりたくない!』との一点張り。
心配して、勝手に救急車を呼んでみたものの
『余計のお世話だ。病院なんかに行きたくない!』と
いって救急車を返してしまう。
救急車も吉田さんの承諾がなければ、
本人の意思に反して強制的に乗せることはできないとのこと。
2003年1月、心配になったので年明け早々吉田さん宅を
訪ねたが応答がない。心配になって鍵を開けて中をのぞいてみたが
人の気配がまったくない。
部屋の中はゴミだらけ、異臭が凄い。
あんなに身体が動かなかったのだから、どこへも行けるわけがない。
不思議だ。その後も数回訪問しが、人気はまったくない。
家賃も3ヶ月滞納していたので、吉田さんが縁を切ったと言っていた、
妹さんに連絡をした。
妹さんいわく『年末に心配して吉田さんを訪ねたが、
”お前なんか帰れ!”』といわれ、もう姉とは関わりたくないとのこと。
しかし、わたしは妹さんを説得して、部屋の明け渡しをお願いした。
妹さんとその娘さんの立会いで2003年2月、廃棄業者を
呼んで部屋の片付けをおこなった。
そして、吉田さんはゴミの山の中で、腐乱死体で発見された。
室内で死亡した場合、警察へ通報し、現場検証、事情聴取、
検死と一連のことが終わるまで、部屋の中には入れない。
数日後、『葬式も終わり、部屋の中を片付けたい』と
妹さんから連絡があり、一緒に吉田さんの遺品の整理をした。
吉田さんのものはほとんどゴミとして棄てられた。
わたしが鏡台のなかを整理していると、写真が数枚でてきた。
吉田さんの『結婚式の写真』。『幼い頃の家族との写真』だった。
自分が一番幸せだった頃。
自分が一番輝いていた頃。
自分が一番可愛かった頃。
そんな想い出を、鏡台の奥に大切にそっとしまってあった。
『吉田さん。あんなに強がりばかりいってても、別れた旦那さんや
妹さんが本当は恋しかったんだね。』
『写真どうしますか?』とたずねると、『捨てて下さい』と妹さん。
なんだか哀しくなって涙がでた。
あれから3年の歳月がたった。
最後に会った3年前の12月、救急車を返した後、
吉田さんはわたしの顔をみて照れくさそうに微笑んだ。
あの笑顔を今でも想い出す。
不動産の仕事をしていると、日々トラブルの連続だ。
数年に一回は、誰にも見守られず、寂しく部屋のなかで
人生を終わる日がいる。
いつも思うことは、
”もっと人を頼りにすればいいのに”
”そんなに片意地をはって生きなくてもいいのに”
と思うことが多い。
人それぞれ、長い人生、理由はいろいろあるだろう。
家族や親戚がいるのに、縁が切れてしまった人がなんと多いことか?
もう少し上手に人生を生きられなかったのか?
いつも自分自身の『生き方』『死に方』を見つめなおす機会になる。